現在、党市議団団長。党地区政策副委員長。革新懇市川代表世話人。民生経済常任委員、外環道路特別委員、市川市農業委員、大町レクリエーションゾーン協議会委員。大野町在住。
担当地域
大野町、大町
柏井町、奉免町
南大野、宮久保
曽谷、下貝塚
稲越町


この物語は、金子貞作市議の人柄や活躍を知っていただくために、日本共産党の後援会が金子市議からお話を聞いてまとめたものです。



議会で「変身」

 金子貞作市議は議会で変身するらしい。「議場にたつと人が変わってしまう」と、傍聴したある人が言っていました。今までの市の不誠実な対応に対する厳しい追及を見れば、確かに誰でもそう思うでしょう。

口うるさい父に反抗


金子市議は1951年、市川大野の農家に生まれました。7人兄弟姉妹の5番目。学校から帰ると仕事を手伝わなければなりません。それが嫌で、父に見つからないように学校カバンを放り投げ、暗くなるまで野山で遊びまわっていました。
 父は口うるさいので、兄弟はみんな父の目を避けていました。そんな父の楯となって、文句も言わずに土に這いつくばるようにして黙々と働いていたお母さんの苦労を、金子市議は子ども心に痛いほど感じていました。

母が宗教団体に


 金子市議が小学生の時、父が人に騙されて家屋敷を取られるということがありました。お父さんもお母さんも、なすすべもなくただ呆然としていました。
そんな時お母さんが宗教団体に入ったのです。お母さんは一生懸命お題目を唱える熱心な信者になりました。
 金子市議は、神仏にすがりたいと思うお母さんの気持ちもわからなくなかったのですが、相変わらず貧乏だし、拝むだけでは変わらないのではないか、と思うようになっていきました。

学習、団結から日本共産党入党へ


 高校を卒業し、勤めていた会社は自動車部品工場でした。小さな会社で、みんな労働条件に不満を持っていました。金子さんは、正当な権利を主張するにしても、きちんと勉強をしなければ本当の力にはならない、ということを実感して、労働者教育協会が主催する「労働学校」に入りました。社会の仕組みを勉強するうちに、自分が能動的に関わらなければ何も変わらない、と自覚するようになりました。
 そのようなとき、日本共産党員の友人との交流がきっかけで政治に関心を持つようになり、金子市議は72年、日本共産党に入党。党の事務所で働くようになりました。もちろんお母さんはいい顔をしませんでした。
 金子市議は「魂の世界でお母さんが安らかになることに異論はないが、現実社会の困難を解決するには共産党しかない」と、理解を求めましたが、お母さんになかなか納得してもらえませんでした。
 ところが、金子市議の市議会議員立候補が決まった時、親子関係は劇的な変化を遂げたのです。

よき理解者、妻との出会い


 金子市議は85年、34歳の時、小学校の教員をしている律子さんと結婚しました。
 群馬生まれの律子さんは、明るくてはきはきとしていて、その上周囲の人に気を使う、細やかな神経の持ち主です。律子さんは金子さんの誠実な人柄に惹かれて結婚をしたのですが、結婚後20年経った今でも、自分の判断に間違いはなかったと確信しています。
 95年に金子市議が地域の要請を受けて市議選に立候補を決意した時、律子さんは反対でした。金子市議は、内心離婚の話も出されるかもしれないと思いながらも、立候補することの重要性と、自分の生まれ育った市川をもっと暮らしよくしたいのだ、ということを、時間をかけて話し合いました。
やがて律子さんは、「あなたの本気さと意思を見たかったのだ」と、立候補を受け入れてくれました。

43歳で立候補


 金子市議の誠実で忍耐強い人柄が見込まれ、市議会議員に立候補することになったのは、43歳のときでした。長年、地域で宗教団体の一員として活動していたお母さんは猛反対でした。
 しかし、一生懸命に演説している金子市議の姿を見て、「息子の選んだ道も認めてやろう」と思うようになり、かげながら応援してくれるようになりました。
金子市議が当選した時、金子市議はお母さんに「何を真っ先にやってほしいか」と尋ねました。するとお母さんは「人のためになってほしい」と答えたのでした。
 お母さんはそれからまもなく亡くなられたのですが、金子市議の議員生活の要には「人のために」という姿勢が常にしっかりと据えられているのです。

「貞作通信」


 母の思いをしっかりと受け止めて議員になった金子市議は、住民からの要求をくみ上げ、それを議会にとどける、そしてその結果を再び住民に報告すること、このことが住民への責務の第一歩だと考え、議会報告「貞作通信」の発行をはじめました。
 忙しい議員活動の中、毎月発行し続けて、すでに155号を超えています。

「人助け」はDNA


 金子市議が議員になりたてのころの事です。雨が降るとといつも水が溢れ困っていた市川3丁目の住民が、地元の議員に相談に行ったのですが、誰も動いてくれません。そして最後に、頼るのは共産党しかいないと金子市議のところに相談に来たのです。金子市議はさっそく一緒に県に行って交渉したり、市議会でも取り上げたりして解決させることができました。
 金子市議の先祖は「市川の民話」の中にも登場しているお坊さんで、お経をあげるかたわら、困っている家に地域の人たちの良い相談相手だったそうです。人の役に立つのを喜びとする血が、金子市議の身体の中に脈々と流れているのでしょう。